簡単に答えを出さず、複雑さを世界に差し出す
august 15, 2026
alter.の会場で展示されるプロジェクトは、国内外のコミッティメンバーによる審査を通じて決定されます。キュレーターやジャーナリスト、建築家などさまざまなジャンルから集まったコミッティメンバーは、一人ひとり異なる視点からプロダクト・デザインと向き合っているはず。alter.のジャーナルでは、インタビューを通じて各コミッティメンバーが現代のプロダクト・デザインをどう捉えているのか明らかにしていきます。
3人目のインタビューは、日本を代表する建築家のひとり、青木淳。京都市京セラ美術館の館長やヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館キュレーターを務めるなど、建築物の設計にとどまらずさまざまな観点から「建築」を考えつづけてきた同氏が現代のプロダクトデザインに見出す可能性を探ります。
「建築」と「建築物」のあいだ
──青木さんは建築物の設計に限らず、京都市京セラ美術館の館長やヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館キュレーターを務めるなど、年々活動の幅を広げています。これまでの歩みのなかで、どんな経験や感覚が現在の姿勢を形づくられているのでしょうか。
私にとって大きいのは、「建築」と「建築物」は違うという感覚です。建築物は具体的なかたちをもつものですが、建築はもう少し広い営みだと思っています。私たちがいる場や環境は、つねに私たちに先立って存在していて、その外に完全に出ることはできません。けれども、その「すでにあるもの」を、あたかも外から見るように捉えなおしてみる。その試みが、私にとっての建築です。店舗や美術館、展覧会のキュレーションも、私にはすべて場の見え方や人と環境の関係を少し別の位相へずらす仕事としてつながっています。
──ルイ・ヴィトンの店舗群から青森県立美術館、京都市京セラ美術館まで、スケールやプログラムが大きく異なるプロジェクトを手がけてこられましたが、一貫して心がけていることはありますか?
私の仕事は、いつも「いま、そこにある場」から始まります。街の風景や人の動き、光、既存の建物や制度など、すでにある日常をまず受け止める。ただ、その日常をそのままなぞるのではなく、そのなかにまだ現れていない別の日常を見つけ、引き出したいと思っています。スケールやプログラムは違っても、私にとって建築とは、外から新しいものを持ち込むことではなく、すでにある現実のなかから、まだ見えていない可能性を立ち上げることなのだと思います。
──京都市京セラ美術館では、館長として「設計する側」だけでなく「運営する側」にも立たれています。建築への向き合い方も変わるものなのでしょうか。
建築とは、私たちの活動とその舞台となる環境とのあいだに生まれるインタラクティブな運動だと思っています。簡単に言えば、ナカミとウツワとのダイナミックな対話です。
設計する側にいるとき、ナカミはどうしても想像のなかにあります。しかし運営する側に立つと、人の動き、使われ方、制度、時間の経過などが、現実のものとして見えてくる。その経験によって、建築を完成した物としてではなく、日々の活動によって更新され続ける場として、より強く考えるようになりました。

つくるために、スローダウンする
──2025年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では、日本館で生成AIをテーマのひとつに据えられました。AIがデザインプロセスに組み込まれる時代に、「創造性」や「作家性」はどう変容するとお考えですか。
「つくる」ということは、もちろん最終的に生まれた結果も重要ですが、本質的には、「つくられつつあるもの」と「つくろうとしていること」のあいだを、何度も行き来することだと思っています。その往復のなかで、最初には想像していなかった方向や、自分でも知らなかった道筋が少しずつ現れてくる。そこに創造の悦びがある。
──AIにそういう経験は難しいということでしょうか。
AIは非常に強力な道具ですが、そのような不確かな往復のなかで、目的そのものが変わっていくような経験は、まだ苦手なのではないかと思います。作家性も固定された個性ではなく、その揺れや迷いをどう引き受けるかに現れるのだと思います。
──若い世代のクリエイターはまさにAIの活用など環境の変化に晒されている存在でもあります。近年の日本のデザインや建築の教育に対してはどんなことを感じられますか?
繰り返しになりますが、「つくる」ということは、結果を早く出すことだけではなく、「つくられつつあるもの」と「つくろうとしていること」のあいだを行き来することだと思います。
そのためには、どうしてもスローダウンする時間が必要です。考えが揺れたり、迷ったり、いったん戻ったりするなかで、初めて見えてくるものがある。けれども、いまの社会も教育も、どちらかといえばスピードアップの方向に向かっています。その流れのなかで、あえて遅く考えること、簡単に答えを出さないことに抵抗の力があると思います。
──alter.も完成品としてのプロダクトだけでなくプロセスやプレゼンテーションを重視しています。プロダクトが置かれる場を設計する際に、青木さんはどんな点を重視されるのでしょうか。
プロダクトは見るためだけのものではなく、基本的には使われるものです。ですから、それがどのような空間で、どのような身体の動きや時間のなかで使われるのかを考えることが重要だと思います。
同時に、空間が先にあって、そこにプロダクトを置くだけではありません。あるプロダクトが存在することで、そこに新しい距離感やふるまい、空気のようなものが生まれることがある。私が期待しているのは、プロダクトを説明する空間ではなく、そのプロダクトがあることで初めて立ち上がる空間です。

わかりにくさと複雑さのなかにとどまること
──alter.は「機能」「美」「表現」という3つの観点からプロダクトを評価しています。今回の審査では、どの観点を重視されるでしょうか。
デザインとは、すでに存在している課題に対する「解決」だけではないと思っています。むしろ重要なのは、まだ課題として意識されていなかったものを見つけ出すことです。機能や美や表現も、その意味ではあらかじめ別々に存在する評価軸ではなく、何を問題として見出すかによって互いに関係を変えていくものだと思います。
今回も、完成度だけでなく、そのプロダクトやプロジェクトが、どこまで遠くに問いを投げかけているか。その飛距離を見たいと思っています。
──現代のプロダクトデザインはどんな課題に直面していると思われますか?
いま大きく変わっているのは、「生活」というものの意味そのものだと思います。働き方、移動、家族、都市、消費、身体感覚など、ものが使われる前提が大きく揺らいでいる。
──そこではデザイナーに何が求められるのでしょうか。
その変化を外から批評するだけでなく、自分自身もそのなかに身を投じながら、それでもなお、自分が思い描く世界の一要素としてのモノをつくれるかどうか――プロダクトデザインの課題は、単に新しい機能や形を生むことではなく、変わりつづける生活のなかで、どのような世界像を具体的なモノとして差し出せるかにあると思います。
──世界的に活動されるなかで、日本のクリエイティブやデザインに対してはどんな印象を抱かれていますか?
世界全体が、ある種の均一化された美意識や評価基準へ向かっているように感じます。情報が共有され、技術も流通し、何が「よい」とされるかも、以前よりずっと速く標準化されていく。そのなかで、日本のクリエイティブは、有利でもあり不利でもあります。国際的な基準から見ると説明しにくい部分もある一方で、そこから少しずれた基盤でつくっているようにも感じるからです。
そのずれは、弱さではなく、大切な可能性だと思います。世界と接続しながらも、同じ物差しだけでは測れないものをどうもちつづけられるか。そこに日本のデザインや建築の意味があるように思います。
──alter.の出展者にもそんな姿勢が求められそうです。
ただし、その独自の基盤は、日本の内側だけで成立していればよいというものではありません。日本の外からの視線にも耐えられるものである必要があります。これはとても難しいことです。効率的に伝えようとすれば、わかりやすく整理し、説明しやすい形にしてしまえばいい。けれども、その過程で、本来そこにあった複雑さや曖昧さが失われてしまうこともある。
出展者の方々には、簡単にわかりやすくするのではなく、ある種のわかりにくさや複雑さにとどまりながら、それをどう世界に向けて差し出せるかに挑戦してほしいと思います。