alter.の会場で展示されるプロジェクトは、コミッティメンバーによる審査を通じて決定されます。コミッティメンバーを務めるのは、MoMAやポンピドゥー・センターといった世界的なデザイン・美術機関のキュレーターから気鋭のデザインメディアのディレクター、自身もさまざまなフィールドで活躍するデザイナーまで、非常にさまざま。本ウェブサイトでは、alter.のプロセスを開示していくうえで、コミッティメンバーへのインタビューを公開していきます。
3人目のコミッティメンバーは、設計事務所「DAIKEI MILLS」代表として多くの空間や施設の設計に携わりながら、自身のプロジェクト「SKWAT」を通じてさまざまな運動を展開する中村圭佑氏。近年は多摩美術大学でも教鞭をとる中村氏へのインタビューを通じて、これからのクリエイターに求められるデザインとの向き合い方を考えます。
デザイナーが主体的に動いていく重要性
──これまで中村さんが手掛けてきたお仕事/活動について教えていただけないでしょうか。
2011年に設計事務所「DAIKEI MILLS:を設立し、ISSEY MIYAKEやLEMAIREといったブランドの店舗や、NOT A HOTEL ASAKUSAのようなホテルなど、さまざまな空間の設計に携わってきました。LEMAIREでは大阪にあった古民家の廃材を利用して什器をつくっていたり、NOT A HOTEL ASAKUSAでは元々のオーナーが音楽好きだったことからスピーカーの中に入り込んだ体験が生まれる空間をつくったりするなど、一貫して、自分の興味関心を色濃く発信するというより、ある場所の背景や特質性をきちんと紐解いていくことを大切にしています。
そして2020年からは自主的にSKWATというプロジェクトを立ち上げ、亀有の「SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)」をベースに、建築やインテリアだけでなく出版物やラジオ番組をつくるなど、さまざまな運動を展開しています。ぼくらの思想に賛同してくださった方から設計のご依頼をいただいたり、コラボレーションする機会が生まれたり、広がりが生まれる活動になっていますね。
──なぜSKWATのようなプロジェクトを自主的に立ち上げたのでしょうか。
プロジェクトの立ち上げを考えはじめたころは東京オリンピックに向けて社会が動きだしているタイミングで、ポジティブ/ネガティブどちらの意味でも東京の風景が変わろうとしていました。そこでぼくたちも設計事務所としてただクライアントを待っているだけではなく、自分たちから率先して社会にメッセージを伝えられるような場をつくりたいと考えるようになったんです。
──今回のalter.でも、中村さんがSKWATを立ち上げたように、自身の問題意識からプロジェクトを立ち上げていただくことを大事にしています。コミッティ参画の連絡を受けたときはどんな印象を抱かれましたか?
一人ひとりがプロダクトを展示するのではなく複数のクリエイターが集まってグループをつくるのは面白いと思いましたし、デザイン業界に一石を投じられようとしているのかなと感じました。正直、ぼくはこれまで一般的な「デザインイベント」にあまりいい印象がなかったんです。たとえ大きな規模のイベントだったとしても閉塞的で、業界の外側に広がっていかない。デザインイベントに意義があるのか疑問に思うこともあり、SKWATでもただイベントを企画するというより、地域の人々も巻き込みながら面白いコミュニティをつくることを重視しています。alter.もいろいろな境界線を溶かしていきたいと考えているからこそ、ぼくに声をかけてくださったのかなと思いました。
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2024年にオープンした「SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)」は、亀有の高架下につくられた複合施設。
ハード思考よりソフト思考
──いまのデザイン業界やクリエイティブ業界は、どんな課題に直面されていると思われますか?
ジャンルを問わず、クリエイターが保守的になって萎縮してしまっていると感じます。自ら動かず、受け身な姿勢をとっている人が多いですよね。とくに日本は国内で市場が確立されていることもあり、積極的に活動を広げて発信しなくても生きていける状況ではありますが、このままだと海外とのギャップがますます大きくなってしまいそうです。いまはメディアに頼らず発信できるツールがたくさんありますし、自ら主体的に動いていきながら賛同者を集めてコミュニティのようなものをつくっていくことがこれからのクリエイターの役割になっていくと思っています。
──日本のクリエイターこそ積極的に動いていくべきだ、と。
デザインやアートの教育においても、日本の場合は技術を重視していて、発信やコミュニケーションが非常に弱い。ぼく自身、いま多摩美術大学で教鞭をとっているのですが、やはり海外のアートクールの方がきちんとコミュニケーションの重要性を考えているように感じます。もちろん技術は重要ですが、日本のクリエイターを見ていると、実力もあるし作品のクオリティも高いのにうまく外に出ていけない人々が増えてしまっている気がしますね。
学生と接していても、やる気のある人は積極的に活動しているし、ぼくが刺激を受けることもあるのですが、自分のことをうまく伝えられていないケースが多い。歴史を振り返れば、三宅一生さんしかり、海外にもセンセーショナルなインパクトを残したクリエイターはいると思うのですが、若い世代・新しい世代のクリエイターがフォーカスされる機会が少ないのは、コミュニケーションに課題を抱えているからなのかもしれません。
──そんななかで、いま中村さんが注目されている動きはあるでしょうか。
まさにいま多摩美の授業でも生徒に伝えていることなのですが、ハード思考よりソフト思考の重要性が高まっていますよね。たとえば建築やインテリアをデザインするときも、空間や什器などハードウェアのデザインから考えるのではなく、対象と関わる文脈や思想、人のようなソフトにまず着目すべきだと思っています。いきなり家具のマテリアルやデザイン、形状を考えるのではなく、その場に眠っているものや必然的にあるものに目を向けることが重要です。日本に限らず海外の動きを見ていても、ハードよりソフトに注目しているケースは増えているように感じます。
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GINZA SIXでのプロジェクト「A Tree」では「⼀本の⽊が家具となり建築となる」プロセスを多角的に提示している。
日常的な感覚から新たな表現が生まれてくる
──今回alter.に参加するクリエイターの方々にはどんなことを期待されますか?
無理せず身の丈にあったものをつくること、でしょうか。ぼく自身も若いころそうだったのですが、若いクリエイターは何かを成し遂げたいと思うあまり、身の丈に合わない表現に挑戦してしまいがちです。でも、実際は自分が当たり前だと思っていることこそ、ほかの人にとって新しいものであったり、その人ならではの強度が生まれるところだったりする。きちんと一人ひとりの身の丈にあった感覚が感じられるプロジェクトに出会えるとうれしいですね。
──alter.はデザインのなかでもプロダクトにフォーカスしていますが、審査にあたって、中村さんはどんなことが「プロダクトの機能」として重要だとお考えでしょうか。
どんなプロダクトであっても、不愉快にならないことは重要です。いまはひとくちに「プロダクト」と言っても機能性に満ち溢れたものからアートピースに近いものまでさまざまですし、プロダクトという領域の境界が溶けているとも言える。こうした拡張自体はとても素晴らしい現象だと思うのですが、プロダクトとして誰かが使うものだとするなら、対峙したときに不愉快な気持ちにならないことが求められるのではないかと思います。
──今回のプロジェクト募集にあたってもalter.として「プロダクト」の定義を厳密に定めているわけではありませんし、プロダクトの定義や条件も多様化していると感じます。
そもそも、どこからどこまでがプロダクトなのか定義する必要はないんじゃないでしょうか。これも多摩美の授業で話していることではあるのですが、厳密に定義を行ってジャンルを絞ると他者と円滑にコミュニケーションが進むし理解してもらいやすくなる一方で、結果として決まった枠に自分たちが閉じ込められてしまうことが少なくない。
クリエイターとしては細かなジャンルの定義に縛られず、使い手に解釈を委ねてしまってもいいと思っています。プロダクトと認識する人がいてもいいし、しない人がいてもいい。人によって呼び名が変わることもあるでしょう。時代の感覚としても、そんな方向に進んでいる気がします。
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TTT/MILANO projectでは写真家の森山大道とコラボレーションし、ミラノ・ドゥオーモ駅の公共トイレをデザインしている。
──今回のalter.にも狭義のプロダクトデザイナーだけでなく多様なクリエイターが参加されますし、今後ますますジャンルや役割の境界は溶けていくのかもしれません。
学生と接するときも、カテゴリーに縛られてはいけないとよく言っています。「建築家」や「プロダクトデザイナー」になろうと思って美大に入る人は多いと思うんですが、職業にこだわりすぎると、活動が狭まってしまう。たとえ建築家にならなくても、構造家やデベロッパーなど建築との関わり方はさまざまですし、むしろいろいろな方向に活動をシフトさせられるのがクリエイターの強みとなるはずです。
──プロダクトやデザインのあり方が多様化するなかで、中村さんご自身はどんなポイントに着目しながらalter.に臨んでいかれますか?
これまでの話とも重複しますが、「身の丈にあった表現か」「共感できる点が存在するか」「つくり手の美観が存在するか」に着目するつもりです。身の丈にあった表現かどうかは、クリエイターが無理せず日々の生活から紡ぎ出したものになっているかどうかを意味します。
共感できる点とは、インタラクションがあるかどうか、ですね。プロダクトの定義がないからといって個々人の好き嫌いですべてを判断するわけではありませんから、たとえばあるプロダクトを見たときに「座りやすそうだな」と思わせるとか、つくる人と使う人の間でなんらかのインタラクションを発生させられることは重要です。
同時に、当たり前ではありますが、つくり手の美観が表れたものであってほしいと思います。ミニマルで美しいものからグロテスクでアヴァンギャルドなものまでさまざまな表現がありえますが、つくり手自身の美観がしっかりと感じられることを大切にしながら、さまざまなプロジェクトを見ていけたらと思っています。